大阪大学名誉教授、兵庫県立大学特任教授
月原 冨武
田中啓二先生は、2024年7月23日の朝にご逝去されました。余りにも突然の知らせに大きな衝撃と深い悲しみを受けています。JSTから6月28日締め切りで、田中先生が研究総括をされていたCREST「構造生命」の追跡評価のための資料提出を求められ、それを提出しました。今年中に田中先生を中心に検討して「評価」を公表すると伺っていた矢先のことでした。筆者にとっては、研究者人生を通して唯ならぬご援助とご激励をいただいた方であり、余りにも突然の早すぎる別れに言葉を失っています。次々に出てくる感謝の思いを述べて追悼の辞にさせて頂きます。
田中先生は1980年代から、複雑な組成の複合体で蛋白質異質化代謝という高次の生命機能を担うプロテアソームの研究をライフワークとする確固とした信念を持っておられました。生涯この初心を貫徹して、次々に分野の頂点に立つ成果を挙げられ、「蛋白質の誕生とともに死の重要性」を示す生命科学の新しい概念を創出されて、世界的に卓越した貢献をされました。
筆者は1991年に徳島大学工学部に赴任し、プロテアソームの構造研究をさせて頂けないかと、徳島大学酵素研究施設で活躍されていた田中先生に相談しました。田中先生は、当時からプロテアソームのような複合体酵素では、サブユニットの変換による高次構造変化や原子レベルでの精密な構造変化によって、精巧で高度な酵素作用・機能制御がもたらされると考えていました。また生命科学研究一般においても、蛋白質複合体の高次構造や精密な構造研究が重要になると考えられていて、それらの構造研究を大いに推奨して頂きました。ウシ肝臓のプロテアソームの構造研究では試料の大量調製法など幾つもの困難は見えていましたが、躊躇なく共同研究を始めて頂き、1992年4月から20Sプロテアソームの精製・結晶化のために一人の工学部の学生に実験スペースを用意して丁寧に指導して下さりました。田中先生の熱心な指導と様々なご支援があって1994年2月には14種28サブユニットからなる20Sプロテアソーム結晶から回折像の撮影に初めて成功して、市原先生の退官記念にその写真を提供することができました。
しかしウシの20Sプロテアソームの構造研究は、1995年筆者の大阪大学への移動、1996年田中先生の東京都臨床医学総合研究所への移動に加えて、1995年にドイツのグループによる細菌の2種28サブユニットの20Sプロテアソーム、1997年には同グループによる酵母の14種28サブユニット20Sプロテアソームの構造決定もあって、一筋縄には進みませんでした。そうした中で田中先生は、「哺乳類酵素は3種のサブユニットが置き換わる構成型酵素と免疫型酵素があり、それらの構造比較は重要である」として、哺乳類酵素特有の困難もありましたが、辛抱強く激励してくださいました。試行錯誤の結果、2002年にウシ肝臓の構成型酵素の構造決定に成功し、免疫型酵素の正確なモデル作成も可能になりました。この構造決定に心から喜んで頂くと共にさらなる研究の発展に激励を頂きました。
田中先生はプロテアソームの研究で筆者たちを援助して下さっただけでなく、さまざまな局面で我国の構造生物学に刺激と援助を下さいました。タンパク3000、ターゲットタンパク、創薬等支援技術基盤プラットフォーム、創薬等先進支援技術基盤プラットフォームなどでも評価委員等に参画されて構造研究を支援して下さいました。そうした中で、複雑な組成の蛋白質複合体を対象とする構造研究を推奨して下さったことは、結果が出にくいこれらをターゲットにしていた研究者にとっても、構造生物学全体の発展にとっても、大変有難いことでした。こうした過程で適切な助言があったので、我が国の構造生物学が単なる数の追求に陥らず質の追求をできたと深い感謝の念を持っています。この先生の姿勢は私が最初に1990年代初頭に徳島でお会いした時から一貫したものでした。2012年からはCREST「構造生命科学」では領域代表として「ライフサイエンスの革新を目指した生命科学と先端基盤技術」を掲げて、生命科学研究及びそれを支える独自の技術開発を推進されました。ここでも困難な蛋白質複合体の構造研究とそのための手法の開発を辛抱強く支援して下さったことには、感謝しきれないものがあります。
筆者自身の研究のみならず我が国の構造生物学の発展に多大な貢献を頂いたことに深く感謝し、心より哀悼の意を捧げます。どうか安らかにお休み下さい。