タンパク質科学実験メモ: van’t Hoff の式についてのメモ3題

けいはんな文化学術協会


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  1. 緩衝液 pH の温度依存性は何で決まるのでしょうか?
  2. van’t Hoff プロットから得られる \(\Delta H = ○○\,\textrm{kcal}\,\textrm{mol}^{-1}\) の “\(\textrm{mol}\)” は何でしょうか?
  3. van’t Hoff のプロットが曲がるのはあたりまえ!

解説

1. 緩衝液 pH の温度依存性は何で決まるのでしょうか?

生化学反応の実験には緩衝液が不可欠です。その際、室温で調製した緩衝液の pH が低温室に持ち込むと変わるというのは実験の基本として皆さんよく承知しておられる通りですね。ところで、これは単に経験的なものでなく、物理化学的な現象であり、温度によってどれだけ変化するかはきちんと理論的に予測できるものです。きわめて基礎的なサイエンスなのですが、意外と気付かずにおられる人もいるようなので、ちょっとメモしておきましょう。

緩衝液の pH は良くご存知のように緩衝液組成のプロトン解離定数 Ka によって決まり、pKa を中心に、\(\pm 1\) ぐらいの範囲で緩衝能があるわけです。温度によって pH が変わるということはプロトン解離定数が温度によって変化することに由来しますが、これは平衡定数の温度依存性を示す van’t Hoff の式で説明されます。

いうまでもなく、van’t Hoff のプロットは平衡定数の対数を絶対温度の逆数に対してプロットするものですが、多くの場合、それは直線となり、その傾斜が \(-\Delta H\) を与えます(注:本当は直線でなければならない理由はなくて、むしろ曲がるのが当たり前です)。緩衝液の場合には pKa を絶対温度の逆数に対してプロットすれば、これが緩衝液組成のプロトン解離における van’t Hoff プロットとなり、その傾斜から得られる \(\Delta H\) は pH の温度係数に相当するものになります。

このように、緩衝液の pH が温度によって変化するのは van’t Hoff の式によっています。とすれば、温度係数すなわち \(-\Delta H\) の値が小さい緩衝液ほど、その pH は温度による影響を受けません。具体的には酢酸緩衝液やリン酸緩衝液のプロトン解離のエンタルピー変化 \(-\Delta H\) はほとんどゼロなので、温度が変わっても pH はほとんど変化しません。逆にトリス緩衝液(tris(hydroxymethyl)aminomethane)のプロトン解離熱は \(\Delta H = 47.44\,\textrm{kJ}\,\textrm{mol}^{-1}\)(\(11.34\,\textrm{kcal}\,\textrm{mol}^{-1}\))と非常に大きく、その結果、0℃と100℃の間では緩衝液としての pH は 2.4 pH ユニットも違いがあります。

生化学実験ではある種のリガンドやメタルと結合しないものとして設計されたグッド緩衝液(Good’s buffer)がよく用いられていますが、それらの pH の温度依存性はみんな異なります。こうした緩衝液 pH の温度依存性は、主要なものについてきちんと示された論文がありますので(1)、まだご存知でない方は是非参考にして下さい。なお、この論文には各種緩衝液の pH における温度依存性が0℃~100℃の範囲で5℃間隔で表にして記載されています。プロトン解離の \(\Delta H\) ならびに \(\Delta Cp\) のカロリメトリーによる実測値を用いて計算した pH の温度依存性がやはり実測された pH の温度依存性と良く一致することが示されています。

2. van’t Hoff プロットから得られる \(\Delta H = ○○\,\textrm{kcal}\,\textrm{mol}^{-1}\) の “\(\textrm{mol}\)” は何でしょうか?

タンパク質の温度転移曲線あるいは熱変性曲線を描いて、二状態転移を仮定した上で、van’t Hoff 式を用いて解析します。すなわち、各温度における転移率(\(K = [\textrm{D}] / [\textrm{N}]\) で表される平衡定数)を求め、その対数を絶対温度の逆数 \(1 / T\) に対してプロットするものです。そのプロットは多くの場合、直線を与え、その傾斜は \(-\Delta H / R\) となります。したがって、van’t Hoff のプロットはタンパク質の変性のエンタルピー変化 \(\Delta H\) を決定するのに利用されるわけです。

ところで、\(\Delta H\) の単位は \(\textrm{kJ}\,\textrm{mol}^{-1}\) ですが、この “\(\textrm{mol}\)” はタンパク質分子 1 mol を指すのでないことをご存知でしょうか。まだ、生体高分子が化学の対象でない時代に確立された優れた法則を近代になって生体高分子にあてはめようとしたために、いろいろな誤解を生むようになったのですが、このメモの主題はそのことについてです。

たとえば、室温でヘリックス、高温でランダムコイルの状態をとる合成ポリペプチドの転移率を各温度で測定して、その温度依存性を van’t Hoff プロットします。そうしてヘリックス・コイルの転移のエンタルピー変化が \(\Delta H = 100\,\textrm{kJ}\,\textrm{mol}^{-1}\) と得られました。この “\(\textrm{mol}\)” は何でしょうか?合成ポリペプチドは普通重合度分布があって、分子量は一定しません。では \(\Delta H\) の単位に含まれる “\(\textrm{mol}\)” はその平均分子量を指すのですか?それともモノマー分子を指すのでしょうか?どちらも正解でありません。実はこのようにして van’t Hoff の式で導かれる \(\Delta H = 100\,\textrm{kJ}\,\textrm{mol}^{-1}\) の “\(\textrm{mol}\)” は気体定数(\(R = 8.314\,\textrm{J}\,\textrm{mol}^{-1}\,\textrm{K}^{-1}\))からきているのであって、対象物質(上の例では合成高分子)そのものを対象にしているという保証は何もないのです。このことはとても大切なことで、それを知らずにこの試料の転移エンタルピーは \(\Delta H = 100\,\textrm{kJ}\,\textrm{mol}^{-1}\) ですと言ってもどれほどの意味があるのかということになります。

ではこれをどう考えれば良いのでしょうか?私たちは分子といえば共有結合で結ばれた範囲を指して話していますが、それはあくまで低分子の場合にあてはまるのであって、高分子のものにはあてはまりません。別の言い方をすれば、この分子というのは共有結合で結ばれた原子の集まりを示すに過ぎず、それが物理化学的挙動を示す単位と同じかということはいえないのです。このことは低分子量のものでもいえます。たとえば、水分子は \(\ce{H2O}\) と表され、その分子量は18であることは疑いもないことですが、でも水分子が \(\ce{H2O}\) として振舞うのはきわめて高温で気体状態にあり、分子と分子の間に相互作用が全くないという特殊な条件のときのみです。通常、室温においては20分子から30分子が集団(クラスター)を作って行動し、それが水としての振る舞いを決めているのです(昔、おじさんは水を研究している研究者に「いつまで水の分子量を18と教えるのですか?」と噛み付いたことがあります)。

van’t Hoff のエンタルピー \(\Delta H = 100\,\textrm{kJ}\,\textrm{mol}^{-1}\) の “\(\textrm{mol}\)” はまさにこのような物理化学的挙動を示す単位あるいは熱力学的挙動を示す単位を指すのであって、タンパク質を含む高分子の温度転移の場合には転移の協同効果単位(co-operative unit)とでも言うべきものなのです。繰り返しますが、高分子の熱力学的挙動を支配しているのは共有結合で結ばれた原子の集団では決してないということです。その意味で高分子の物性を議論する際には、低分子化合物と同じ概念の分子量というものを念頭において話をするのは間違いだというということを知っておくべきだということです。

なお、球状タンパク質では、この協同効果単位はタンパク質の種類によらず約10,000~20,000(2)と見積もられています。さらに繊維状タンパク質であるコラーゲンについてもこれは約18,000というように同じ位の値が示されています。また、分子量が数十万から数百万まで幅があると教科書に書かれているデンプン分子の場合には、それが48,000(約300グルコース残基)(3)と見積もられています。こうした低分子における分子の概念が高分子には当てはまらないことは蛋白質科学会の会員が知っておくべきことというよりも、もはやリベラル・アーツのジャンルに属する普通の教養科学として教えないといけないとおじさんは思っています。また、上記で協同効果単位というのは合成高分子の物性を研究している方の間では \(\sigma\) という記号で使われている概念と同じ趣きのものであることを知っておくことも有益かもしれませんね。

3. van’t Hoff のプロットが曲がるのはあたりまえ!

タンパク質の温度転移の実験で van’t Hoff プロットをすることが多いと思います。その場合、データのバラツキにもよりますが、いかにも無理矢理に直線を引いている人を見かけることがたまにあります。中には、ある温度を境にして、異なった勾配の二つの直線を引き、その説明として、この温度を境に転移のメカニズムが違うのだという解釈を試みている研究者の方も見受けられます。他に実験的証拠があれば別ですが、このような考え方をするのは van’t Hoff のプロットが直線でなければならないという思い込みが先にあるからです。これは明らかな間違いですが、このメモ書きはこのことを採り上げたものです。

van’t Hoff のプロットの傾斜は \(\Delta H\) を与えます。それが直線であるというのは全温度領域にわたって \(\Delta H\) が一定であることを意味します。けれども、そんなおかしなことってあるでしょうか?熱力学の定義ではエンタルピーの温度係数は熱容量(グラム単位では比熱)を表します。

\[ \partial H / \partial T = C_{p} \]

変化の過程を考えると

\[ \partial \Delta H / \partial T = \Delta C_{p} \]

となりますが、\(\Delta H\) が一定ということは \(\Delta C_{p} \equiv 0\) ということを表しています。上にそんなことってあるでしょうかと書いたのはその点です。つまり、タンパク質のような巨大な分子が変性という大きな構造変化を引き起こす時に、熱容量の変化がゼロ(\(\Delta C_{p} = 0\))であるというのは考えられないことなのです。

勿論、タンパク質の熱変性だけでありません。タンパク質とリガンドの結合反応においてもほとんど例外なく\(\Delta C_{p} \neq 0\) であることが実験熱力学の立場から証明されているのです。したがって、タンパク質の関与する反応であれば、van’t Hoff プロットは基本的に直線とならず、曲がるのだという認識を持つことが必要だと思うのです。その場合、リガンドが結合することにより、タンパク分子の側で大きな構造変化があるというのが第一に考えられる要因ではないでしょうか。

ただし、van’t Hoff プロットから \(\Delta C_{p}\) を求めるには広い温度範囲で精度よく実験しなければなりません。狭い温度範囲で粗い実験点しかなければ見掛け上直線になってしまいます。なお、これとは別に反応メカニズムが複雑で、相殺されて \(\Delta C_{p} = 0\) となるケースも考えられます。

いずれにしろ、タンパク質が関与する反応系では van’t Hoff プロットが曲がるのは当然であり、もし直線と見做せるような結果が得られたとすれば、特異なケースとしてその解釈を試みるというぐらいの認識であってほしいと申し上げたいのです。タンパク質の熱変性であるにせよ、リガンド結合反応であるにせよ、それらの反応系で van’t Hoff プロットをしたときに、ある温度を境にして二直線を引くのであれば、こんなメモがあったなと思い出してくださいますと幸いです。

なお、タンパク質の熱変性に際しては実験的に \(\Delta C_{p} > 0\) であることが精密な DSC 測定から明らかにされています。これはコンパクトな分子が unfold することによって、accessible surface area が増大し、そのために熱容量が増えるというのが一般的な解釈です。

ついでながら、\(\Delta C_{p} > 0\) であることは、そのタンパク質が高温だけでなく、低温でも変性するというのが熱力学における理論的な帰結です。実際、DSC 法により実験的にこの低温変性が確かめられているものもあります。しかし、この点については多くのタンパク質では低温変性のおこる温度領域が低すぎて、既存の装置では実験的に検証ができないのが実状と言えるでしょう。

文献

  1. Fukada, H. & Takahashi,K., Proteins, 33, 159–166 (1998)
  2. Privalov, P.L., Pure & Appl. Chem., 47, 293–304 (1976)
  3. Shiotsubo, T. & Takahashi, K., Carbohydrate Res., 158, 1–6 (1986)